当たり前に明日があるかわからない国「イスラエル」

9月22日の秋分の日は、「豊穣の集い」八ヶ岳イベントへ出演。

本来であれば、7年連続7度目のイスラエルの予定がキャンセルとなり、急遽参加することになりました。

主催の長谷川章子さんより

「イスラエルのお話を」

というリクエストもあったので、お話の中心はイスラエルについて。

国土の60%以上が、過酷な砂漠の荒野の地において、自給率100%近くを誇り、海外にまで輸出するイスラエル。

砂漠を緑に、オアシスに変えて食べるものを生み出し、海水を真水に変え、今では空気も飲料水に変えるほど、テクノロジーを駆使した錬金術の実践が世界一進んでいる国。

地球の歴史上、国が滅ぼされて消えてしまった国はあまたありますが、1度滅びた国が、再び再建されるのは、聞いたことがありません。

それも1900年の時を経て。

今世紀というか、歴史上の世界一のベストセラーは、紛れもなくダントツで聖書ですが、聖書の舞台はイスラエル、そしてユダヤ人の神話と歴史。

2000年経っても、世界中で知らない人がいないほどのスーパースターのイエス・キリストもまた、1人のユダヤ人であり、キリストの物語の舞台もイスラエル。

「戦争ばかりやっている危ない国」

というのは、イスラエルの極々偏った一面に過ぎず、文明の歴史という壮大なスケールで見た場合、イスラエルという国は、過去も今も、想像以上に、地球に影響を与え続けている異例の国であります。

1948年に再建されたイスラエルは、この70年以上、周囲に頼らず、どうやって国が発展できるか、国民が生きていけるかを考え、国も国民も一丸となって自立して歩みを続けてきました。

1945年に事実上敗戦となった日本は、この70年以上、周囲に頼らざるを得なくなり、自分では立てないほど、大事な部分を骨抜きとされてしまいました。

明日が当たり前にあると思っている人よりも、明日がどうなるかわからず、今この瞬間を全力で生きている人では、1日、1年の過ごし方は全然違いますが、イスラエルの良い意味の強さは、当たり前に国が存在しているとは思っていないところにあると思います。

「砂漠だろうと、周囲が協力せずとも、どんな状況でも生き延びて見せる」

そんなハングリー精神というか、生きる原点のパワーを現地で感じ、そこで日本に戻って来た時に、この国の現状、将来に何か違和感や危機感を感じました。

縄文古来より、長い歴史のある日本では、自給自足は当たり前であり、どこに依存せずとも、逆に他国が羨むほど豊かで自立している国であったはずなのに、戦後から今は・・・。

ただ、偏った情報だけに真実を知らず、イスラエルを批判するよりも、イスラエルから学ぶことは山ほどあります。

「再び海外へ行けるようになったら、是非イスラエルへ」

そう呼びかけさせていただきましたが、コロナ禍関係なく、イスラエルという国は、この先も当たり前に存在しているのか、わからない国。

「いつか行きたい」

「いつか逢いたい」

と思っているうちに、その国も、その人も、当たり前に存在しているとは限りません。

思い立ったら、すぐ行動することも、時にはとても大事だと思います。

再びイスラエルへの道が開けたら、真っ先に飛び立とうと思います。

その時は是非ご一緒に。