そろそろ周囲でも知る人が増えてきたから、ここら辺で一言。
イスラエルの名物ガイドである
バラさん(榊原茂)
が、2021年12月18日にご逝去されました。
日本にあるすべてを捨てて20代後半にイスラエルへ片道切符で飛び出し、そこから50年近くイスラエルで過ごしたイスラエルで最も有名で偉大な日本人。
バラさんとの出逢いは、初めてイスラエルへ訪れた2014年のイスラエルツアー。
僕は、25名ほどの団体ツアーに1人で参加し、イスラエルの入国で1人だけ警察に捕まり、尋問を受け、ツアー開始を遅らせたことで、第一印象は最悪だったかもしれない。
「ようやく出てきたと思ったら、下駄をカランコロン鳴らして、サムライのような格好で…」
いつも最初の出逢いを苦笑いで話すバラさん。
ツアーも終わり、もう2度と会うこともないだろうと思っていたら、また翌年2015年春に団体ツアーに参加して再会。
それでも、基本的に団体の中では超寡黙な僕は、周囲の人ともほとんど話さず、バラさんともほとんど話をしないので
「なんて無口な青年なんだ」
と、バラさんには逆に印象的だったみたい。
2年連続でイスラエルをご案内頂き、おかげで人生が変わる体験を数多くし、何よりもバラさんのガイドは、あらゆる意味でパーフェクト。
でも、さすがにもう出逢うことはないだろうと思って2度目の別れを済ませ、日本に帰ってから1年後の2016年春。
この年、7年毎(6年)に1度の諏訪の御柱祭が差し迫っており、当時はただの友達だった妻から
「御柱祭があるのご存知ですか?チケットは抽選みたいですよ」
と教えてもらい、せっかくなら行ってみようと適当に応募したら、4枚チケットが当たったので、教えてくれた御礼もかねて、妻も含めて知人3名を誘って御柱祭に参加。
12日間もかけて、4社の16本の御柱を立てる大祭は、合計157万人も参加したようですが、その中で抽選の当たった日、決められた席の場所に行くと、なんと目の前になぜが、バラさんが座っていた。
「えっ?バラさん?なんで日本にいるの?というか、なんでここにいるの?そもそも、なんでここで逢えるの??」
イスラエルにいるはずのバラさんが日本にいることを頭に想定しておらず、完全にパニックになりましたが、バラさんはたまたま日本に帰ってきており、そして偶然知人に誘われて、この日の御柱祭へ参加することになったとか…。
そうしたら、突然目の前に僕が現れたので、バラさんもバラさんでビックリ仰天。
確率的にはあり得ない奇跡の出逢い。
「これはまたイスラエルへ行かなきゃ!」
こうして、この瞬間に僕は2016年もイスラエルへ行くことを決めると、その場でバラさんは知り合いのツアー会社の社長へ電話して下さり、3年連続の、そして初めてとなる自分主催のイスラエルツアーが決まった。
このツアーは、あくまでも知り合いで行く小さな旅。
さとううさぶろうさん、長典男さんご夫妻、KNOBさん、長谷川章子さんなど、豪華メンバーで行く祈りのイスラエル。
日程は2016年9月末から10月頭に決まり、トルコを数日過ごしてから、ユダヤ新年をイスラエルで迎える計画。
当初7名で行く予定が、この御柱祭の2ヶ月後に妻と付き合うことになり、急遽妻もイスラエルへ連れて行く8人の旅となる。
まだ付き合って3ヶ月で、まさかのイスラエルへ行くことになるとは、双方思ってもいなかったのが、このイスラエルが生涯忘れることの出来ないビッグイベントになるとは…。
イスラエルへ到着すると、バラさんと奥さんのアコさんが一緒に迎え入れてくれた。
奥さんのアコさんから
「あなた達付き合ってるの?」
と初日に聞かれ
「はい」
と答えたら、いつのまにか、その日のうちに
「イスラエル滞在中に2人の結婚式をやろう」
と話が膨らむ。
幹事役として、取りまとめるのが、なぜかうさぶろうさんとなり、翌日にガリラヤ湖で作戦会議。
でも、具体案が決まらないまま、さらにまた翌朝を迎えると、未明にうさぶろうさんから
「ちょっと2人で部屋においで」
と連絡が。
そこで部屋に伺うと、そこには、男性用のシルクの衣装と花冠までついた女性用の花嫁衣装が置いてある。
「まさか、夜中に買いに行ったのですか??」
とビックリしましたが、男性用の衣装は、たまたま日本を出る前に何かで着る機会があるかもと、詰めたもので、女性用の衣装は、トルコに1人先入りした際に、日本にいる知人の花嫁さんのためにお土産で購入したものだった。
おまけに別の友人へお土産で購入した指輪もあり、その指輪を買うと、店主がおまけで男性用指輪をプレゼントしてくださり、指輪も2つ揃っていた。
役者も衣装も揃ったということで、舞台はガリラヤ湖の船上に決定。
その日のうちに、花を摘んだり、ブーケを作って、手作り結婚式を開催。
バラさんは、もともと神父を目指していた生粋のクリスチャンだったので、神父役はもちろんバラさん。
そこで、バラさんが歌ってくれたイスラエル国歌
「ハティクヴァ」
は
「希望」
という意味のヘブライ語。
初めてハティクヴァを聞いたときに涙が自然と溢れる不思議な曲だったけど、この日に全身全霊で歌ったバラさんのハティクヴァは格別なものであり、魂が震えるものだった。
「イスラエルがあなたの希望であり、未来である」
20代後半、銀座で長年地下生活を送り、人生に何も希望を持っていなかったバラさんは、この時に神秘体験で、この言葉が頭の中に突然聞こえた。
そして、その言葉通りにイスラエルへ飛び出し、そこで本当の自分自身の人生が始まった。
バラさんがいなければ、僕もイスラエルへ通うことはなかったと思うし、イスラエルで結婚式を挙げることもなかったと思う。
バラさんをみんなに紹介したいから、2017年、2018年、2019年と団体ツアーを組んで、イスラエルを毎年訪れた。
イスラエルを訪れる目的の半分以上は、バラさんに逢いに行くのが目的。
2019年イスラエルで別れを告げて
「また来年逢おうね」
と、いつも通りに思っていたら、そのいつもはやって来なかった。
コロナでツアーが中止となり、それが最後のお別れとなってしまった。
ちょっと早いなぁ、バラさん。もうちょっと一緒にイスラエルを旅したかった。
これから先の僕のイスラエルの旅はどうなるかわからないけど、またイスラエルに行くとバラさんが一緒にいてくれると思っています。
そして、イスラエルから学んだ叡智をこれから日本で生かし、日本とイスラエルを繋ぐのが、僕に与えられたミッションの1つ。
2022年の春、諏訪はまた御柱祭で盛り上がる。
あれから6年。
諏訪はユダヤであり、そのご縁で僕らは結ばれた。
この1つの周期が終わり、また新たなサイクルが始まる。
コロナが明けた時には、まずイスラエルへ旅立ちます。