「お腹の中の赤ちゃんはプレアデスから来ていますね」
「あれ?この子はプレアデスの子供ですね」
10年前の2010年、サイキック能力を持った方々とお会いする度に、立て続けに同じキーワード
“プレアデス”
という言葉が出てきたこともあり
「じゃあ、名前は“スバル”で」
あっさり決まった息子の名前。
「このお腹の中の子供、どうやらプレアデスから来ているみたいなんですよ」
産まれる3ヶ月前、天皇祭祀の伯家神道を継承した審神者(サニワ)であり、言霊学の権威者である甲府の
七沢賢治先生
のもとを初めて訪問した際に、そんな会話をすると
「今、その子から名前の漢字が降りてきた」
と、突如として秘書の方を呼んで、書で書き下ろして出てきた名前が
「統留(スバル)」
という漢字でした。
統合して留める。平和な時代がやってきて、それが永く続くきますように。
名前は自分自身で決めると言われますが、産まれる前に色々な人を操って、必死に自分の名前を伝えたかったのかもしれません。
そんな自分もまた、プレアデスからの使者に突き動かされ、
「子供と一緒にいたいから」
という理由から、生まれた翌月末で会社員生活に終止符をうち、プー太郎に。
「子供も生まれて、さーこれからってタイミングになぜ!?」
と周囲からは不安の声ばかりでしたが、なぜって言われても、頭で考えて言葉で説明できるものでもないので。。。
2011年3月11日。子供が生まれて、初めてベビーカーを押して都心へお出掛け。
渋谷で降り立ち、街中を歩いていると東日本大震災が発生。
仕事を辞めて以来、1ヶ月以上も1度も都心を訪れることもなく、埼玉の郊外に移ってゆっくり暮らしていたのに、まさかのドンピシャリのタイミングに都会のど真ん中で地震に遭遇、もれなく帰宅難民に。
3ヶ月の赤子を抱えての帰宅難民体験の一晩は、昨日までの価値観を一気に崩壊させるほど強烈なものであり、たった一晩で別人のような意識となってしまいました。
息子が生まれていなかったら、会社員を辞めることもなかったでしょう。
震災があっても、都会から離れることもなかったでしょう。
振り返れば、プレアデスから宇宙人がやって来て以来、いまだに良いように使われているように思えますが、そんな彼も10年経ってすっかり地球人。
「彼らが大人になる前に今の社会を変えないと」
「子供達、次世代のために、大人達が平和な世界を創る責任が」
そんな想いを持った時期もありましたが、最近の自分自身は、大人も子供も一緒に共同創造がテーマ。
変わらない大人と社会を変えようとするよりも、
変える必要のない子供をそのまま伸ばし、一緒に新しい社会を創る方が断然早いし楽しそう。
だから、うちの会社や八ヶ岳では、不登校の子供たちも希望があれば、一緒に仕事、ビジネスをできる環境を整えようと思っています。
ITが好きで得意な子供にはITを。農業が好きな子供には農業を。
衣食住が好きな子供には、それぞれ好きなことを仕事にできるように。
もちろんアートやクリエイティブな仕事も。
既存の社会の枠組みの中で、学校や教育を準備するだけでなく、今のうちから社会起業家を養成して、早々に社会人デビューさせるのもありかなと。
今の10歳たちは、我々の子供時代とはまた比べ物にならないほど、クリエイティブで知能的。
掛け算ができなくても漢字が書けなくても、自分のアイデアとスキルがあれば、大人顔負けの様々な事業ができそうなほど無限の可能性に溢れています。
次の10年後、息子は20歳になっている頃ですが、その頃に一緒に何をやっているのか、とても楽しみです。