七澤賢治先生

また1人、この世ではお別れとなった師。
七澤賢治先生。

8月29日、大変お世話になった七澤賢治先生が亡くなり、本日に葬儀に参列させて頂きました。

かの船井幸雄会長が

「天才、七澤賢治さん」

と著者などでご紹介されていたのをきっかけに知り、とても憧れの大先生でした。

世にも珍しい言霊学の権威者であり、世界を驚かせたのは、この言霊の力をコンピュータで再現し、

「QES」

という言霊発生装置のようなものを作り上げた大発明家としても知られています。

そして、七澤先生のもう1つの顔は

「伯家神道の継承者」

であります。

平安から幕末まで、長くに渡って天皇祭祀を司って来た白川家の

「おみち」

という、十種神宝を学ぶ秘儀を継承された数少ない1人であり、この天皇祭祀の秘儀を一般向けに学べる白川学館を再建されたことでも有名です。

ちょうど今から11年前の9月、初めて甲府にいる七澤先生のご自宅へ訪問しました。

無謀にも天皇祭祀を学びたいと。

訪問した際、ちょうど息子はお腹の中にいて、生まれる3ヶ月前でした。

「この子、名前の音だけ決まっていて、スバルというのですよ」

と伝えたら、息子が先生にテレパシーを送り?
突然、先生のもとに漢字が降りて来ました。

「統留(すばる)」

と書に書き、そのまま七澤先生が息子の漢字の名付け親となりました。

そんなご縁もあってか、以来定期的に通わせて頂き、当時門下生はとってませんでしたが、おみちの修行まで行ってくださいました。

そして、311の直後に首都圏を飛び出した自分たちを快く迎え入れてくださり、2011年から先生のオフィスの一画に会社の事務所も構えさせて頂き、毎日一緒に食事も取りながら、様々な教えを頂いておりました。

今となっては考えられないほど贅沢で貴重な時間であり、おかげで20代後半の自分は、大きく成長出来たと思います。

ただ、2012年に入り、農業を学ぶと言って、甲府を離れ、河口湖へ移住してからは、いつの間にか疎遠になってしまい、一方で先生の周囲には大勢の人々が集まるようになり、組織も大きくなって、足を運びずらくもなりました。

今の八ヶ岳の生活、山梨の人生があるのは、七澤先生のおかげと言っても過言ではないほど、大きな人生の転機のきっかけを与えてくださった最初の師。

何度も逢いに行こうと思いながら、生きているうちにちゃんとお礼も言えなかったことは悔まれますが、生涯この感謝の想いは忘れることはありません。

まるで子供のように無邪気な一面もあれば、何事にも動じない豪快な一面もあり、本当に尊敬する大変な人格者でした。

七澤先生、どうぞ安らかにお休みください。