エンディング・ヴィレッジ

エンディング・ヴィレッジ。

それは滅びゆく村ではなく、人生最期を迎える理想郷。

日本初の統合医療を学ぶ神奈川歯科大学大学院教授である川嶋朗先生、蒲原聖可先生が、キブツサマーイベントで特別講演。

長くに渡り、かつ最先端の統合医療を研究・実践するお二方のお話は、一語一句書き留めておきたいほど、どれも大変学びになる素晴らしいお話でした。

“命”が中心ではなく、いかに今の医療が医師や病院の保身のためにあり、患者に寄り添っていないかが明確となりました。

そしてまた患者もまた、他でもない自分の命の行方へを他人に委ね、依存する意識を変えないと、日本の健康問題、医療問題は解決の糸口が見えない。

OECD加盟国35カ国の中で

「あなたは健康ですか?」

というアンケート調査を行った結果、日本はワースト2位(2019年)であった。

2016年はワースト1位。

世界一の長寿国である事実はあるのに、国民の多くは自分は健康でないと思っている。

では、健康に必要な三大要素には

*睡眠
*食事
*運動

があるが、この3つについてしっかり出来ているかどうかの調査では、日本は

「睡眠(ワースト3位)」
「食事(最下位)」
「運動(最下位)」

という結果が出ている。

「なんて愚かなんでしょうか?」

と、川嶋先生は嘆く。

自ら健康ではないと自覚しているのに、健康になるための努力をしていない。

健康じゃないからと言って、日常生活を見直す前に病院に行く。

健康保険は素晴らしい制度ではあるが、3割は自己負担だけど、残り7割はみんなが払ってくれている。

「万が一の時に主治医が診てくれないと怖いから、その先生が出す薬は必ずもらっているけど飲んでいない」

川嶋先生のもとに、そんなクライアントが相談に来たことがあるそう。

その年数15年、そして、その薬は捨てていると。

「目の前にお金があって、それを捨てますか?」
「あなたがやっていることはみんなのお金を捨てていることと一緒ですよ」

と厳しく伝えると、まず何も言えなくなる。

今の日本国家の家計は、60兆円の税収があって、介護や福祉を含めた医療費は60兆円かかっている。

例えるなら、60万円の収入のある家で、その家族の医療費で60万円の支出がある。

収入全部を医療費に払ってしまったら、他の生活費はどうやって払う?

そこに

「子供名義のクレジットカード」

がある。

今の日本は、この子供名義のクレジットカードを使いまくって、未来の世代の借金で成り立っているのが実情。

オギャーと、今産まれたばかりの赤ちゃんにも、何百万円とクレジットカードの借金が負担される。

おじいちゃん、おばあちゃん、無意識のあなたの日頃の行動、生き方が可愛い子供、孫たちの未来を奪っている。

寿命は長くとも、健康寿命との差は

「男性9年」
「女性12年」

と、日本人は長寿国というより、ただ延命されている長命国。

まずは

「私は健康である」

という意識に切り替わらなければ、今の医者や病院への依存、薬信仰、医療費の負担額は変わらない。

変わらなければ、この国はいつか破綻する。

ただ、この医療現場もマイナスの世界だけではなく、希望もある。

2016年に東京医科学研究所は

「AIが命を救った国内初の事例」

を発表しました。

難病とされる特殊な白血病患者がいて、日本最高峰の医師たちが揃っているとはいえ、抗がん剤治療ではまったく効果が現れていませんでした。

ところが、人間の医師は

「急性骨髄性白血病」

と診断したのに対し、IBMの人工知Watsonが、たったの10分で本当の病気を見抜き、的確な治療法を提案したことで、その患者はあっという間に治癒してしまった。

20分で2000万件以上もの世界中の論文を読んでしまうAIの力。

人間の医師では、もう到底及ばない能力であり、将来に医師の大失業者時代が来てもおかしくはないと。

その時代に医師が必要とされるのは、やはり人間ならでは、命と寄り添う本来の医師の姿。

医師も意識とあり方を変えないと、これからの時代に生き残るのは容易ではありません。

最後にエンディング・ヴィレッジについて川嶋先生から。

これは実は、セミナー前夜に川嶋先生から八ヶ岳コミュニティに相談されたコミュニティ医療の1つのあり方でした。

役に立たなくなった老人を子供が背負って山に捨てる姥捨山。

残酷なイメージしかない姥捨山伝説ですが、岩手県遠野市には

「デンデラ野」

という一見変わった姥捨山の伝承が残っている。

そこでは、子育ても終わり、里での役割を終えた高齢者達が

「元気なうちから」
「自ら」

山に入り、そこで仲間同士で自給自足生活をし、お互い看取りあって最期を迎えていたそうです。

「子供や若い人たちには負担かけないように」

もちろん、そこには古来の日本人ならではの自己犠牲的な考えもあったのかもしれませんが、そこには最期をどういった環境で迎えるか、これから先の日本人にとって非常に重要なヒントが山ほどある。

団塊の世代が後期高齢者となる2025年問題、その背景には

「死に場所がない」

高齢者が大勢出てくることも問題視されている。

自宅で家族に見守られて看取られることも容易ではない時代、最期は施設か病院で、頭もボケて、何が何だかわからないうちに命は終えてしまう。

それならまだしも、超高齢大国となった時には面倒を見てくれる人すらいない孤独死も。

それなら、元気で意識もハッキリしているうちから、将来の自分の

「死に場所(エンディング・ヴィレッジ)」

へ行き、そこで遠野の姥捨山のように、お互いが助け合い、看取りあって、自給自足しながら幸せに暮らせる理想郷を作り出すのも1つの選択肢。

そこには統合医療も含めた、単純に治す医療ではなく癒す医療を取り入れる。

なぜなら、高齢者は病気を治すのは容易ではない世代であり、どう病気とも付き合って最期を穏やかに過ごせるかが大事だから。

「それを八ヶ岳でやりませんか?」

と、川嶋先生からのご提案。

「やりましょう」
「それはコミュニティの持つ大事な役割だと最初から思っていたので」

そう瞬時に答えました。

「最期をどう迎えるか」
「どんな環境の中で死にたいか」

これは僕個人に限らず、人間にとってとても重要なテーマだと長年思っていた。

長年寄り添ってきた家族とはいえ、必ずしも価値観や死生観も一緒とは限らない。

死んだら終わりと思う人もいれば、死んでも魂の旅は続くも思う家族も。

どうせなら、同じ意識や価値観、そして死生観を持つ仲間の中で見送られるのが、このステージをスムーズに去り、次のステージに向かうのに理想的。

何か無機質で冷たいイメージのある病室で、管に繋がれて自分らしくもいられず、涙、涙で死が永遠のお別れのような意識の中では、ちょっと去り方としては悲しいもの。

もちろん死は悲しいものだし、病院での別れも悪いものではないけど、それが嫌な人もたくさんいるはず。

死ぬ直前まで農作業をして、仲間との宴の中でぽっくり逝ってしまう人もいるし、人にとっての最後の迎え方は人それぞれ。

悲しみだけの感情でなく、次なるステージへの旅立ちを皆が心から祝福するような環境で看取り、看取られるのも悪くはないもの。

そんな元気なうちから、本当に魂から繋がり合える仲間とコミュニティを作り、最期まで命を生かせる環境の中で人生を終えたい。

それがエンディング・ヴィレッジの1つの形。

自給自足と美しい自然、意識高い人々が集う八ヶ岳は、そんな場所となるイメージがあります。

統合医療も取り入れ、またその先にあるエンディング・ヴィレッジ構想もこれから取り組むプロジェクトとなりました。

いずれにしても素晴らしい講演会となり、このセミナーは、また後日にリクエストがあれば、アーカイブ配信も検討中です。

そして、是非とも神奈川歯科大学の統合医療講座を応援くださいませ。