たいへいの由来「太平山三吉神社」

滝沢家のルーツ秋田県へ。

滝沢家のご先祖は秋田県であり、お墓参りで子供の頃から秋田市へは、毎年のようにお盆は訪ねています。

自分自身、幼稚園は秋田県で過ごしており、とても大切な故郷の1つ。

そして、滝沢泰平の

「たいへい」

という名前は、この秋田市にある修験の山

「太平山(たいへいざん)」

から命名されており、本当は生まれた直後も名前は

「太平」

でした。

でも、本当はたいへいではなく、なぜか「たへい」

という謎の読み方だったらしく

「それは違うよ!」

と赤ちゃんならでは、高熱を出して産まれた直後に死にかけて抵抗し、それをきっかけに

「安泰に育ちますように…」

と祈り込められて泰平になったそうです。

そんな名前の由来となった太平山。

秋田へ行く直前、キブツ八ヶ岳サマーイベントで出逢った方より、なんの前置きもなく

「太平山という山をご存知ですかと?」

と突然話題が。

その山の麓に

「太平山三吉神社」

という神社があり、その御神体が、木彫り熊の申し子と呼ばれた藤戸竹喜先生が彫ったもので、とにかく素晴らしいものだと。

太平山、知っているも何も、自身の名前のお山であり、それを聞いたら行かなくてはと、お墓参りの後に太平山三吉神社へ初訪問。

役の行者小角が創建し、坂上田村麻呂もまた関与している古い神社。

御祭神は

「大己貴大神(おおなむちのおおかみ)」

であり、これは、日本書紀に登場する神であり、三輪山に祀られる大物主大神、つまりは饒速日(ニギハヤヒ)と同一神となります。

そう、秋田は出雲の神、ニギハヤヒと非常に縁が深い場所。

ニギハヤヒとは、神武天皇がヤマトを治める前に、すでに存在していた国の王であったと言われる、天皇の証「十種神宝(とくさのかんだから)」を引き継ぐもの。

記紀神話では、ほとんど登場しませんが、先代旧事本紀と呼ばれる古事記以前の古文書などには登場し、奈良の三輪山に墓があり、大阪の磐船神社に降臨伝説などがあります。

が、実はニギハヤヒの子孫と呼ばれる物部家は、東北にも存在しており、63代目となる物部神官を務める秋田の唐松神社の物部家には、先祖代々から伝わる物部文書が存在しています。

その内容の一部は、少しだけ公開されましたが、いまだに非公開の内容であり、おそらく日本の歴史を大きく変えてしまう内容が書かれているとも。

ここ太平山三吉神社にも、唐松神社からの分霊となるお社が祀られています。

さすがに御神体は、特別な時にしか見せられないもので、閲覧できませんでしたが、肖像画の三好霊神そのものを彫ったもので、とんでもない迫力があるそうです。

でも、この三吉霊神、どことなくニギハヤヒにも似ているような…。

千と千尋の神隠しでは、ニギハヤミという名前で出てきたニギハヤヒ。

別名「天照(アマテル」という男性太陽神。

この神が、日本と世界の次の時代を切り拓くキーポイントの神の1神!?であり、ニギハヤヒもまた、瀬織津姫とセットで、自身の巡礼の旅が始まったきっかけの神。

太平山もまた太陽の「太」から来ているのかもしれません。

太平洋は、かつてムー大陸が存在していた場所。

ムー文明は、太陽神の化身となるラ・ムー王が治めていました。

これからの岩戸開きは、遥かムー以降まで遡ります。