出イスラエル記エピソード1
「先の見えない隔離生活の始まり」
9/6夕方にエルサレム入りして、観光する間も無くホテルでPCR検査。
「陽性で帰れなくなったらどうしよう」
なんて冗談も飛び交うほど、検査は形式的なもので、誰もが当たり前に日本に帰るつもりであったのが、早朝の一本の電話で先行きの見えないイスラエル裏ツアーが始まったのは、前回お伝えした通り。
36名中33名が陽性。
朝8時から旅のクライマックスであるエルサレム観光が入っていたのが、目の前でシャッターが
「ガシャンッ」
と閉まる。
いや、観光どころか、参加している方々の家族、仕事、日本帰国後のあらゆる予定はどうすんの?
色々頭を巡るものはあったものの、まずはみんなに報告しなきゃ。
こうしてエルサレムに入って一歩も外に出れることなく、我々33名は囚われの身に。
33。キリストが磔にかけられた聖なる数字であり、秘密結社フリーメイソンの階級もまた最高位が33階級。
ある意味33の世界的中心地であるエルサレムにて、この人数になったのも必然的な流れかもしれませんが、それはともかく、この先どうなるのか誰もわからない。
「とりあえず各自部屋で待機で」
ということで、この日から正式に隔離生活。
後に詳しくイスラエルにおけるコロナ陽性者の隔離条件など入って来ましたが
「検査日を1日目として5日間隔離生活」
「4日目と5日目に抗原検査キットを使い2日連続で陰性となれば6日目から隔離解除」
という条件でまずは隔離は解除される。
これはまず最低クリアしなければいけない最初のハードル。
なぜなら隔離解除されないと
「PCR検査」
を受けに出られず、PCR検査の
「陰性証明」
がないと日本に帰れないから。
イスラエルで生活する分には、隔離生活をして2回抗原検査キットで陰性となれば、あとは症状がなければ自由の身。
でも、我々はここで生活するイスラエル人ではなく、1日も早く日本に帰らないといけない。
整理すると
- 隔離生活最低5日間
- 抗原検査キットで2日連続陰性
- PCR検査で陰性
この3つを順調に行ったとしても、更なる次の課題として
「航空券の空き状況」
という別の問題もあると。
33名全員がスムーズに陰性証明まで取れたところで
イスラエル〜トルコ
トルコ〜日本
の飛行機に空きがなければ全員一緒には帰れない。
「1番から33番まで飛行機に乗る優先順位をつけてください」
これが日本の旅行代理店からの指令であり、これには困った。
当然勝手な判断で優先順位はつけらるわけもなく、まずはアンケートを取ってグループを3つに分ける。
*優先的に早く帰りたい
*急ぎの人に席を譲る
*どちらでもない
それぞれのグループの中で抽選会をし、さらに優先グループの中で特別な事情の方は最優先にして1番から33番までの搭乗順位を仮で決める。
順番が決まったとはいえ、この通りにいくとは限らない。
なぜなら、これから始まる隔離生活の中で抗原検査キットとPCR検査のダブル検査で結局のところ行ける人、残る人の数が変化してくるから。
ただ、抜け出せるゴールが明確に見えたのは希望の光でしたが、一方でまた
「抗原検査キットで陽性だったら?」
「PCR検査で再び陽性だったらまた隔離?」
その辺の情報が不明確であり、実際イスラエルの人々もその辺はまったくわかっていない。
とにかく勝負は、最初の抗原検査キット。
これがまたふざけたもので、なんと自己申告で保健省に連絡。
検査日(9/6の夜)が1日目なので、9日と10日の夜にそれぞれ自分で検査して、その結果を取りまとめたものを僕が現地ツアー会社を通して保健省へ報告する。
正直、やろうと思えば
「全員陰性でした」
と2日間伝えて、全員隔離解除にすることも出来ますが、それは1人2人ならまだしも、33名なら疑われるだろうし、何よりすぐにPCR検査があるので、そこで陽性だと元も子もない。
だから全員にしっかり画像送付をしてもらい、誤魔化さないで正直に報告するスタンスで実施することにしました。
こうして、8日(隔離3日目)にエルサレムから50分離れたレホヴォトという街へ救急車で搬送され、レオナルド・ダヴィンチから付けられたホテルレオナルドでの隔離生活の始まり。
9月9日の夜が、まず運命の分かれ道…。
ところが、9月9日の早朝にまた新たな別の大問題が発生。
最初のPCR検査で陰性だった3名は、予定通りにエルサレム滞在を終え、無事にイスラエルを8日夜に出国したものの、なんとトルコのイスタンブールで乗り換えて、いざ日本(羽田)行きの便に乗ろうとすると搭乗拒否に…。
「イスラエルの陰性証明が使えない」
というまさかの事態で、3名全員が再度PCR検査を受させられ、その間に乗るはずの飛行機は飛び立ち、おまけに1人が
「陽性」
で、トルコに残って隔離であると…。
陰性だった2名も24時間遅れでイスタンブールで足止め。
「こっち(イスラエル)も大変なのに、あっち(トルコ)も〜?」
もはやツアー会社も介入できない異国の中の異国であるトルコで取り残されるという、非常事態の対応に追われ、そもそもなぜイスラエルの陰性証明が使えなかったのかも、疑問だらけであり、僕の元には、日本からイスラエルからトルコからと情報整理で頭もパンク寸前、とても隔離生活とは思えないほど寝る間も無く超多忙。
「あの時、全員が陰性だったとしても全員がイスタンブールで足止めされて、再検査でバラバラにされていたかも?」
それはそれでもっと複雑な状況になっていたかと思うと、ゾッとする思いですが、そんなこんなで迎えた9日抗原検査キット初日。
使い方を間違えると誤って陽性反応となることもあるので、33名に使い方をしっかり伝えていざ検査。
「おっ、僕は陰性」
妻も陰性。
その後、皆さんからの報告でピコーン、ピコーンと次々に陰性報告と証拠写真が。
「これは行けるかも?」
と思いきや、10名ほど陰性が続いた後は、ポツポツと陽性報告も続き、
26名陰性
7名陽性
という結果に。
26名は翌日(10日)も陰性なら11日には隔離解除でPCR検査へ、7名も初回ダメでも、また翌日以降に2日連続で陰性となれば隔離解除となるかと思えば
「初回で陽性だった方は、このまま13日まで隔離されるそうです」
と保健省から通告が。
「えっ?13日?」
ここに来て7名が大幅に帰国が遅れることに。
翌日もまた同じ時間帯に一応全員が抗原検査を実施。
元の陰性メンバー26名は陰性のままであり、今度は陽性メンバー7名のうち4名が陰性となまたものの、結局初回で陽性だったため、7名は11日から外出できず、13日までPCR検査も受けられない。
自分自身は陰性であったものの、なんとも心苦しい気持ちで2日目の報告も出すと、夜遅くにイスラエルツアー会社からの緊急連絡が。
「なぜが突然ですが、抗原検査結果に関わらず31名が明日から隔離解除となりました!」
「え?なんでまた?そして、なんで31名?残る2名は?」
「それが奥様ともう1名で…」
なんとなぜが陰性や陽性問わず、突如として31名解放宣言が出たと思いきや、抗原検査で2日間とも陰性だった2名が謎の隔離継続。
おまけにその2名のうち1名はうちの妻。
「いやいや、なにそれ(笑)」
もはや、ここまで来ると爆笑ものであり、とにかくはちゃめちゃな保健省の対応にツアー会社を通して抗議で再度調査依頼を。
とはいえ、閉めかかったシャッターが、岩戸がいきなり開いた。
結局2名の解除許可で出る前にPCR検査を団体で受ける手配を緊急に。
PCR検査は11日夜にどこかしらで受ける予定で決定。
外出許可も出て、この空白の時間に
「再びみんなでエルサレムへ行こう」
と貸切バスを手配。
果たして2名の誤解は解けるのか、僕らはPCR検査を受けに行けるのか?
そしてトルコで取り残されたメンバーは?
911、思わぬ隔離解除からまた新たな章の始まり。続く。