今日からイスラエルへ。
イスラエルを語る中で、僕にとって生涯忘れることのできない体験は
「ガリラヤ湖での九尾の狐」
との出逢い。
2015年4月末から5月上旬に僕は2度目のイスラエルへ旅立ちました。
実はこのタイミングは非常に重要な時期であり、意図的に狙ってイスラエルを訪問。
なぜなら
2014年の4月から2015年の9月までは、月食4回と日蝕2回の合計6回の
「テトラッド」
と呼ばれる天体ショーが続く期間であり、今回と同じパターンのテトラッドは実に2000年ぶりであったから。
つまりキリスト時代以来のテトラッド。
そして、このテトラッドの期間のすべての月食と日蝕のタイミングに合わせてユダヤ教では祭祀の日と重なっており、この1年半の間はイスラエルの裏で何かが動いている時期となります。
赤い月と黒い太陽の出現。
この2000年ぶりのテトラッドは聖書における
“最後の審判”
のお告げであり、旧い2000年の約束から新しい2000年の約束の時代へと入る契約期間でもあります。
新約聖書が旧約聖書となり、旧約聖書が旧々約聖書となる時。
この時、ガリラヤ湖を訪れると未明にパチっと起こされました。
「時差ボケかな?」
と思いながらも、導かれながらホテルから外に出ると、まだ真っ暗なガリラヤ湖畔の周囲の山の上に明るく光が灯っていました。
「あの光はなんだろう?」
その光を目指して、夜道をひたすら歩き、そして岩山の崖を登り始めてしまいました。
すると、岩山に生えている低木の茂みから
「ガサガサ」
と生き物が動く音が聞こえてくる。
というか、付いてきている…。
「巨大な蛇だったらどうしよう」
こんなところに大蛇なんているはずもないのに、外国、それもイスラエルということもあり、さすがに鈍感でお化け屋敷も微塵にも怖くない僕も、若干恐怖。
まぁ、でもここまで来たら仕方ない、とにかく進もう。
崖を8割ほど登ると、もうこれ以上は上に行けない行き止まり。
というか、これ以上登ったら、足を滑らしてイスラエルで昇天してしまう。
「日の出でも待つかぁ」
と、のんびり湖面を眺めながら夜空を見上げると、ミジンコみたいに上空に円盤がたくさん集まって来た。
すると、登ってきた崖の方の暗闇から、スーッと茂みの生き物が姿を現しました。
…狐?白狐??えっ?何この巨大な尻尾?
珍獣との遭遇でパニックになるも、その白狐は近くまで接近して来て、目が合うと180度反転して、そして孔雀のように尻尾を広げました。
あの時の
「ブワッ」
という風まで届きそうな音は、恐らく一生忘れない。
エリマキ狐!?
もはや正常な判断がつかない僕は錯乱状態でしたが、イスラエルには珍しい動物もいるもんだと、冷静になれ、冷静になれと、現実的に物事を考えてました。
「いや、あんなのいるわけねぇ。ありゃ九尾の狐じゃないか…」
そう気づいたのは、もう少し後のこと。
さて、イスラエルと九尾の狐が無縁ではなく、その存在はユダヤ教の絶対神ヤハウェとキリスト教のイエスの存在とも繋がると、元祖都市伝説の飛鳥昭雄先生は語る。
九尾の狐は、尻尾の間は8つの股に分かれた八岐大蛇であり、それはヤハウェの化身。
大蛇と感じたのは満更でもなかったのですが、この八岐大蛇(ヤハウェ)を聖櫃アークとして日本に運び込んだのが、古代ユダヤ十支族の末裔である審神者の忌部であると。
飛鳥昭雄先生は、九尾の白狐は、神の化身、神そのものであり、それは天照大神として日本の神社に祀られている。
それは稲荷神社であり、女神である天照大神ではなく、男神天照で、それはイエス・キリストでもあると豪快な見解を出している。
ヤハウェ=天照大神=イエス・キリスト
というのが、飛鳥先生の視点。
他にも、稲荷(INARI)の語源は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語の「INRI」という説も。
これは「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という意味になるそうです。
つまり、日本で一番数が多い稲荷神社は、実は商売繁盛の狐ではなく、イエス・キリストを祀っており、日本は稲荷神社が創られた頃からキリスト教が国の中心にあったのではないかという説です。
その真実は僕にはわかりませんが、ガリラヤ湖で確かに九尾の白狐とは遭遇しました。
それもテトラッドのタイミングに。
その意味は、後に日本の神社巡りをする中で色々繋がってくるのですが、まさかその翌年にガリラヤ湖で結婚式を挙げるとは、この頃は夢にも思わなかったこと。
他にもイスラエルでは、不思議な体験はたくさんあり、ここで神様と人の物語が生まれたのも納得のいく地だと思います。
僕にとっては魂の故郷。そういった方は日本人の中にも多いと思うので、是非8月ご一緒しましょう。