【出イスラエル記(やつはメルマガ 滝沢泰平コラム)】
2022年夏のイスラエルの旅。
期間は、8/31~9/9まで。

そう、本来なら日本に到着しているはずですが、なんとまだイスラエルに滞在中です。
ことの発端は、ツアー最終ステージのエルサレム。
日本だけが、まだ入国にあたって72時間以内のPCR検査の陰性証明が必要であり、ツアーも9月8日夜のイスラエル出国の48時間前、9月6日夜にエルサレムのホテルで参加メンバー36名全員がPCR検査を受けました。
そして迎えた翌朝早朝、日本の旅行代理店から緊急連絡が。
「大変なことになりました。なんと36名中3名を除いて33名が陽性反応が出ました…」
と。
「え?3名が陽性ではなく33名が?えーっっ…!?」
と一瞬は驚きが隠せないものでしたが、こればかりはとにかく文句を言ってもどうこうなるものではなく、まずは覚悟を決めて、そこから”しおり”には載っていない
「出イスラエル記」
がスタート。
まずは何よりも皆の健康状態のチェック。
夏のイスラエルということもあり、確かに高温で熱中症のような症状が見られる方もいましたが、コロナにしても病院へ行くほどの参加者いない様子。
残り2日残したエルサレムの観光は、3名だけで出掛けることになり、残りの陽性メンバーはホテルのお部屋で待機。
幸いエルサレムは、とても豪華なホテルであったので室内は快適ではありますが、もちろん食事も全部部屋食のプレート。
それぞれ家族や仕事先には速報で連絡をし、必要に応じて旅行代理店からも家族などへ連絡。
幸か不幸か、このご時世のため、念入りに
「コロナ保険」
に皆が入るようにしていたので、とりあえず陽性者の今後の
*宿泊費
*チケット振替代
*移動費
などは、すべて保険でカバー。
見方を変えれば、タダ同然でイスラエルに延泊できるのですが、基本部屋から出れずの隔離であり、もちろん仕事や家族の都合で早く帰りたい人もいます。
でも、とにかく3名が陽性ではなく、逆に33名が陽性という、イスラエルも困惑する人数で果たしてどこでこの先受け入れてもらえるかなど、課題は山積み。
というのも、イスラエルは、世間的にはもうコロナは終わっており、誰もマスクもしてなければ、1日の感染者数も1,000人以下。
そこにいきなり団体の日本人感染者。
イスラエル当局も、このウイルスに興味を示し、検体として我々はなぜか、また連日PCR検査を受けさせられ、変異株の調査に協力することに。
そんなこんなで、果たしてこの先どうなるのか、迎えた2日目(9/7)の朝。
「これから午後に救急車が迎えに来て、皆さんはエルサレムからレホヴォトに移動します」
と。
「レホヴォト?」
とは、エルサレムから車で西に50分ほど、空港のあるテルアビブからも近い別の街へ。

幸いにも4つ星クラスのグレードの高いホテルが受け入れてくださり、僕らは9月8日から救急車で移動してレホヴォトに滞在することになりました。


我が家は夫婦揃っての延長戦。
イスラエル出発前日に指の骨を折り、大怪我をしてヘルプに急遽妻を巻き込んだにも関わらず、さらに延長させてしまうのは家族やお世話になっている八ヶ岳の人々に申し訳ないですが、おかげで緊急事態のツアーも、妻のサポートもあってなんとか順調に乗り切ってます。
とても1人で来たら怪我がなくとも対応しきれなかったかと。
そう考えると、このハプニングはすでに決まっていて、単なる僕の怪我のサポートで妻は呼ばれたのではなく、延長戦を含めたツアー全体をサポートするために僕の怪我を使って招集されたのかも。
さて、隔離生活もまた毎日のように様々なハプニング続きで、この異国の地でかつてない展開に24時間臨戦態勢で頭も体もフル回転中です。
でも、人生もまた決められたスケジュールだけではなく、行き当たりばったりで、生きあたりバッチリが人生の決めてきたシナリオ。
何が起こるかわからないけど、すべては必然で必要なことであり、あれこれ深く考えずに委ねたり、手放すことも大切だと感じてます。
「家族のことどうしよう」
「仕事になんて言おう」
「大事な約束が」
あれもこれも、心配したらキリがないことも多いのかもしれませんが、ジタバタしても始まらないので、こんな機会はしたくても滅多に経験できるものでもなく、とにかく日常の思考を手放し、この与えられた今という現実、非日常を素直に受け入れる。
すると、この未知なる旅もまた刺激的な旅へと変わり、より本来の自分が内側から湧き出てきます。
いずれにしても、とりあえず僕は元気でツアーメンバーも結束力が高まり、それぞれ協力し合って素晴らしいチームワークとなっています。
この短期間のイスラエルの旅が生涯忘れることのできない仲間同士の繋がりとなりそうです。
また日々のことはブログでも少しずつお伝えしていきます。