日本列島の要石であり、諏訪信仰始まりの聖地
「小袋石(おふくろ)」
へ。
諏訪大社上社の御神体は守屋山(モリヤ)。
モリヤは、ヘブライ語でユダヤ絶対神である
「ヤハウェが見る」
という意味であり、古代エルサレムの呼称でもあります。
山そのものが御神体の聖地である守屋山は、頂上ではなく麓に隠された磐座巨石がある。
その巨石こそ、縄文古来の龍蛇神ミシャクジが降りる磐座であり、前宮と本宮を繋ぐ旧参道の間を守屋山に入った奥にある磯並社の裏にある小袋石というもの。
実は今年5月のGW頃、天然シャーマンとして30年間啓示を受け続けている、さとううさぶろうさんに日本列島の天変地異に関わる危機のメッセージが。
その時、うさぶろうさんは、この小袋石の写真を知人から見せてもらったようで、ここから強いインスピレーションを受け取り、連絡をくれました。
驚くべきことに、その時僕はたまたま諏訪湖に来ていたのですが、残念ながら時間がなくて、この小袋石は訪れることが出来ませんでした。
6月、確かに日本は能登半島の珠洲市で大きな地震が起こったり、まだ各地で不可思議な地震や噴火、様々な災害が続いている。
そして7月にイスラエルを訪れると、途中にイスラエルのプレート断層などを案内してくれた現地在住のmisakoさんが、やはり
「小袋石」
の話を出された。
これまで散々諏訪を訪れても聞いたことがないのに、3ヶ月の間に2回も、それも諏訪とイスラエルで小袋石の名前を聞くとは、もう偶然とは思えず、イスラエルで預かったものを納めるために、いよいよ小袋石へ初訪問。
磯並社まで来ると、ここはもう神域であり、結界が張られていて、縁のない人は簡単には訪れられないようになっている。
そのように諏訪口伝の語り部の方が伝えているのを聞きました。
そして、磯並社から始まり、小袋石にたどり着くまで
*磯並社
*瀬神社
*穂股社
*玉尾社
の4つのお社を経由して、最後に御神体となる小袋石がある。
礒並社は、安曇族のご先神である綿津見神であり、瀬神は名前の通り瀬織津姫を祀っている。
穂股社は、戸隠の神である天忍穂耳命を祀っており、ここから先は岩戸の奥、完全なる神域であって、そこに磐座とともに鎮座する最後のお社である玉尾社には、なんと
「饒速日(ニギハヤヒ)」
が祀られている。
これは諏訪口伝の伝承でありますが、まさかここでも瀬織津姫に、そして饒速日とも繋がるとは。
太陽神アマテル(アマテル)。
2013年瀬織津姫から始まり、そして饒速日に繋がり、それから数百社にも及ぶ神社や聖地を巡ってますが、その中心は瀬織津姫と饒速日。
それにしても、想像以上の大きさと迫力の小袋石。
太陽に対して、こちらは月の要素であり、日月(陰陽統合)として祀られている。
さて、この小袋石がまたハンパではない。
この巨石がどこから飛んで来たかといえば、なんと八ヶ岳山頂から。
7,500年前、まだ諏訪湖が大海の頃、北横岳が噴火して、その噴石の1つが守屋山麓に飛んで来た。
そして写真にはないですが、この小袋石の真下は、地割れのような断層があり、裏に周るには小さな木の板を渡るほど。
その地割れは、なんと日本最大の断層である中央構造線。
九州から茨城まで続いています。
そして、この守屋山は、日本列島を東西に分断するフォッサマグナ糸魚川構造線上にあり、さらにユーラシアプレート、北米プレート、そして、それらに沈み込んだフィリピン海プレートの先端のピンポイントの場所。
7,500年前、大地震と地殻変動で諏訪湖の形状も変わり、もともと繋がっていた霧ヶ峰と守屋山も分断され、日本列島が大きく揺れ動いていたそうです。
そこで八ヶ岳から噴石が飛んで来て、まさかまさかの、このすべての交点にスポッと巨石が鎮座。
すると地殻変動も止まったと、諏訪口伝には残されています。
日本列島、地球クラスの
「要石(かなめいし)」
とも言われるのが、この小袋石。
ここから諏訪信仰が始まり、守屋山が神の山ら聖地とも呼ばれる所以。
イスラエルまた、世界のプレートが交差する地であり、日本列島とイスラエルは、人間の頭蓋骨ではコメカミに位置するキーとなる場所。
この小袋石にイスラエルから持ち帰ったすべてを収めてお祈り。
南海トラフ、富士山、まだまだ色々と油断できないことはありますが、八ヶ岳と諏訪は、それらともダイレクトに繋がる大事な場所。